「まず情報を集める」
「なぜそうするのか?」をあらゆる手段で探りましょう。
そのためにはまず情報を集める。客観的な意見を探す。
子供たちが拒否反応を起こすときの基準となるものが、楽しくない、かっこよくない、人から評価されない。の3点です。
子どもの周りにそんな状況はありませんか?
子どもの頑張りはそのままで、親の工夫や頑張りで成績を上げるノウハウを「親技(おやわざ)」といいます。勉強に関する様々な悩みを子ども任せにせず、親子で取り組んでいきたい方にお勧めです。
さて、ここからはもう少し詳しく「子どもが今まで出来ていたことをやらなくなった!!なぜ?」というテーマで話を進めていきますね。
こんなご相談を頂きました。
さっそくですが、小2の娘のことで相談させていただきます。
娘は3歳から国語に力を入れた幼児教室に通い、字が書けるようになってからずっと日記をつけてきました。
『たべもの日記』 食べたものと感想など
『読書日記』 読んだ本の内容をちょっぴりと感想
『友達日記』 誰と何をして遊んだか
『おでかけ日記』 どこへ誰とでかけて何をしたかなどよくできた型があって、はじめからその型で書いていたせいか、幼稚園年長の頃には、1日5、6ページきちんとストーリーがある日記をつけるようになっていました。
親バカですが なかなかこどもらしいいい文章を書き、感心するほどでした。
実際に日記で賞をいただいたこともあり、親としては作文の基礎ができたように思っていました。
ところが小学校に入り、授業でミニ作文やミニ感想文を書きはじめたら、別人のような文章なのです。
いままでは
「たのしかったです。」
「おいしかったです。」
「うれしかったです。」
「おもしろかったです。」などの文章で締めくくることはなかったのですが、どの作文も全部
「たのしかったです。またやりたいです。」
「たのしかったです。またいきたいです。」
「おいしかったです。またつくりたいです。」・・・感想文も全部「おもしろかったです。また読みたいです。」・・・
しかも読んだ本の紹介は おもしろかったと思われる部分を抜き出して
「というところがおもしろかったです。よんでみてください。」
と書いており、本の内容はさっぱりわかりません。
作文の内容もダラダラとあった事を書いているだけです。
なかには文法的にもめちゃくちゃ、内容もさっぱりわからないものまでありました。
日記を見ている親としてはショックですし、がっかりです。
家で書く日記はあまり変わらないので、もしかしたら短くまとめられないのではないかと思い、日記を1ページか1ページ半にすることにして、しばらく様子を見ました。
でもそれはそれなりにまとめています。けっして「たのしかったです。また・・・」とは書きません。
こどもに聞くと、「それしかうかばないから・・・」と言います。
はじめは先生の指導などもあり、そのように書いていたかもしれませんが、一年生の終わりになってもまだ変わりませんでした。
一年生最後の個人面談で 思い切って担任の先生に質問してみたところ
「はじめは指導しましたが、今は自由に書かせています。」
とのことでした。
家での日記も自由に書かせているのですが・・・
また
「とても読書量が多いことは感じています。作文についてはまわりの様子を見てあわせているのかもしれません」
とも言ってくださいました。
そんなことがあるのでしょうか?
学校では友達の様子を見て、さっぱりわけのわからない文章を書き、家ではなかなかいい日記を書く。
なぜなのでしょうか?
理由が全くうかびません。
タイプとしては目立ちたくないタイプで、日直のスピーチや授業中に手を上げて発表することなどは大嫌いです。先生のおっしゃることもわからないではないのですが納得できません。
長年頑張って書いてきた日記の成果がなくなるわけではないのでしょうけど、あそこまでめちゃくちゃな文章が書けることが不思議です。
書いていておかしいと思わないのでしょうか?
日記も読み直しておかしいところを直したりしている様子もありません。書く時間も30分から1時間程度で2,3ページの日記を書いています。
学校の国語の時間に書くミニ作文もテーマが決まっているわけだし(遠足のこととか、球技大会のこととか)あまりかわらないと思うのですが。
学校のミニ作文をうまく書かせたいというより、なぜ別人のように文章が違うのかが知りたいと思います。
自分でおかしいと思わないのか、思っても気にしないのか???
本人は「わからない」「おかしいかもしれないけど時間が無いから」などと言っています。
日記は親子で頑張ってきたのに、なぜなのでしょう?
なかなか答えにくい相談ですなあ・・・
なぜか?
親から見てまったく「理解ができない」行動をする子供を親が見る目は「わからない」です。
「わからない」と思っている中で、ずーーっと見ていても、それはやっぱり親はわからないんです。
その「わからない」と思っている親の視点からの相談内容には、解決策を探る材料が極端に少ない・・・ということなのです。
言っていることわかりますか?
今回の相談内容は、書けるはずの作文を学校では書かないなんですが、
私に与えられた材料は、
娘は3歳から国語に力を入れた幼児教室に通い、字が書けるようになってからずっと日記をつけてきました。
よくできた型があって、はじめからその型で書いていたせいか、幼稚園年長の頃には、1日5、6ページきちんとストーリーがある日記をつけるようになっていました。
なかなかこどもらしいいい文章を書き、感心するほどでした。
実際に日記で賞をいただいたこともあり、親としては作文の基礎ができたように思っていました。
ところが小学校に入り、授業でミニ作文やミニ感想文を書きはじめたら、別人のような文章なのです。
で、
そんなことがあるのでしょうか?
なぜなのでしょうか?
書いていておかしいと思わないのでしょうか?
思っても気にしないのか?
日記は親子で頑張ってきたのに、なぜなのでしょう?
と。
残念ながら、解決策を探る材料が発する疑問に比べて少なすぎる。
ゆえに答えにくい・・・なんですね。
ただ、イイ解決策を探していくときには、やっぱりそのための材料をしっかり探さなくちゃならないということなんです。
親にとって理解できないこともたくさんあります。
でも、わからなければ聞けばイイ。
ドンドン聞いて材料を集めて、親の視点以外の材料も揃えて、さてどうするかと考える。
これが解決策を探す大前提です。
そういう意味で、相談者さんがまず相談すべきなのは、メールを読む限り、学校の先生でしょう。
まずね。
確かに、相談してます。
先生からは
とても読書量が多いことは感じています。作文についてはまわりの様子を見てあわせているのかもしれません
と言われた。
しかし、相談者さんは、この先生の言われることにイマイチ納得できなかったんですね。
皆さんも、こういう場合って多いでしょ?
だからこそ、私へ相談となったわけですが。
しかし、ここは今一度、先生に、家で書いている作文を持参して、
こんな風に家では30分くらいで書いているんですが、学校で書く作文とのあまりの違いが気になって仕方ないのですが?
と聞くのが一番いいでしょう。
納得できないまま、引き下がるというのは、解決策を探す材料探しを諦めるということなんです。
塾でも学校でもそうなんですが、「説明」を受けて納得できないときは、もう1回聞くんです。
もちろん丁重に言葉遣いに気をつけて。
特に子供にとっての「マイナス情報」これはつまり「解決策の材料」になりうるものですが、この「マイナス情報」は突っ込んで聞かない限り、伝達はされません。
今回の場合でいえば、
目立ちたくないタイプで、日直のスピーチや授業中に手を上げて発表することなどは大嫌いです。
このあたりの学校での様子はどうなのかと。
例えばですが、
- 以前素晴らしい発表をしたが、生意気だと皆から言われた
- 発表で状況を詳しく語っていたら、早く終われよと言われた
とか。
目立ちたくないタイプは昔からの可能性も大ですが、なにかをキッカケにそうなった場合だってあるのです。
特に家で見せる顔と学校で見せる顔が違う場合、問題点が隠れてしまうことがあるので特に注意が必要です。
親の側では「わからない」わけですから、できるだけマイナス情報も仕入れる努力が求められます。
そのマイナス情報(プラス情報も含めてですが)をキャッチする際に、非常に頼りになるのが、学校の先生です。
最近では確かに頼りない先生も多く出てきているようです。
しかし、学校や場合によっては塾の先生は、親よりも多くの時間を子供と接しています。
ヘンな先生もいますが、たいていの場合は、先生は子供のことを「よく知っている」ものです。
先生が「よく知っている」というのは、
- 子供の性格
- クラスでのポジション
- 子供たちの人間関係
などです。
これはクラスに授業という形で定期的に入るとほぼ誰でもわかると思うんですが、クラスの中に入って見ていると非常にこういうことがよく見える。
特に小学校の先生なんかは、1日中でしょ。
知りたくないと思ってもわかります。
だから、先生はいろんな情報を持っている。
その情報は当然ながら、常にそれぞれの家庭に向けられて発信されるわけではなりません。でも、それは先生が情報を持っていないことを意味しません。
だから、先生の1回目の説明で納得できなければ、再度行って違う角度から「すいません、教えてください」って行けばいい。
それは先生が持っている情報を引き出しに、いただきに行くんです。
もちろん、先生は万能じゃありません。すべてを知っているわけではないけれど、親が思っている以上に多くの情報をキャッチしている。
たとえば、私は他人の小学校の通知表を好んで見せてもらいます。
別に成績に興味があるわけではありません。
興味があるのは、そこに書いてある「性格や行動についての記述」また「各教科の項目別の観点評価」です。
県によって書式は違うのでしょうが、たとえば算数であれば、
古い年代の方であれば、
「知識・理解」「技能」「数学的な考え方」
の3つくらいから、最近のものでいえば、
「算数への関心・意欲・態度」「数学的な考え方」「数量や図形についての表現・処理」「数量や図形についての知識・理解」
の4つくらいの観点別評価が記されています。
この評価、実によく当たっているんです。
皆さんもご自身のものを見てみてください。
特に通知表の算数が「よい」の子供でも、「数学的な考え方」の評価が低い場合、中学校・高校に上がった際に「数学が苦手」になる可能性がヒジョーに大きいのです。
あくまでもこれまで私が見てきた結果ですけどね。
通知表では成績は「よい」だから、子供は算数が「得意」と思っています。現に「算数、大好き!」って言いますから。
でも、小学校の先生は、確かに点数も取っているし、その他もろもろはできているが、「数学的な考え方」は??とちゃんと評価しているんです。
だからといって「数学的な考え方」を身につけるために、こうしたほうがいいよ!なんては言ってくれません、ほとんどの場合。
でも、それは家庭の役目。
小学校の先生は、将来出てくる欠点や苦手を1日中子供を見ていることで発見してくれているのです。
少し、例が長くなりましたが、学校の先生が果たしてくれる役割をきちんと理解して、その情報を家庭で活かしていきましょうということです。
繰り返しますが、学校の先生は、問題点があることには気づいていても、情報を持っていても、それを解決する、是正する手段は知らない、またはかかわらない場合が多いということなんです。
もっといえば、解決するつもりはないかもしれません。
先生は忙しいんです。
特に「重大」と思われる案件でない限り、1つ1つに対応してくれる体制にはない。
だから、私は学校の先生には
◆「問題点の発見」
もしくは
◆「問題点の発見の手助け」
を主にお願いするのがいいと考えています。
今回の場合でいけば、
「なぜありきたりの作文を書くと思うか?」
「作文を書いているときの様子はどうか?」
「作文の発表や評価はどうしているか?」
と聞いてみる。
先生が
「作文についてはまわりの様子を見てあわせているのかもしれません」
と言ったら、もう1つ突っ込んで
「周りの様子を見てしまうような状況があるんでしょうか?」
と聞いてみる。
「ウチの子が生意気なこと言うんでしょうか?」くらいへりくだって聞いてみてもいい。
先生を責めるんじゃなくて、「聞く」んですよ!!
で、
「先生、家ではこういう作文を書くのですが、この違いをどう思われますか?」
と。
先生が思っていることや情報や心当たりを引き出す。
親がまったく心当たりがない以上、解決への道はそこしか糸口がないのですから。
さて、ここまでは、相談者さんがすぐにすべき行動については考えてみました。
では、私からなにかヒントはないか?
ということで、材料は少ないですが、私の考えを少し述べてみましょう。
改めて聞く学校の先生の意見も参考にしながら、お子さんに当てはめてみて、違うならそれでいい。
いきますよ!
まず、1つめ。
私がよく言う、子供の習性の1つに
楽な方に流される
があります。
特に学年が低くなればなるほど、周りにも「流される」傾向は強いようです。
相談者さんさんのお子さんにとって、学校で書く作文の書き方の方が楽なんじゃないのか?
そこはまずは疑ってみる必要があるでしょう。
また、子供たちからすれば、楽に流れる傾向が出やすいのは、
- 楽しくない
- かっこよくない
- 人から評価されない
この3点が挙げられます。
3点は、いずれも子供たちが拒否反応を起こすときの基準となるものです。
家で日記を書く時間は、お子さんにとって楽しい時間でしょうか?
どうです?
親からすれば、「なかなかこどもらしいいい文章」を書き、感心するほどで「作文の基礎ができたように」思えたとしても、
子供にとって
「楽しくない」
可能性は否定できません。
そこはどうか?
特に
よくできた型があって、はじめからその型で書いていたせいか、幼稚園年長の頃には、1日5、6ページきちんとストーリーがある日記をつけるようになっていました。
とあります。
もうそんなふうに書けるのが当たり前になって、親とすれば、それが我が子の「普通」になってはいるが、子供はどう思っているのか?
相談メールの中に、
「子供は家では喜んで何時間でも作文を書いています」
とかいう記述があれば、これはクリアだったのですが、なかったので、あえて問うてみました。
型というのは非常に便利なもので、ハードルが高いものに対して、抵抗感なくスムーズに入れる便利なツールです。
これによって作文が書きやすくなって、好きになった! さらに賞なんかをもらって、さらにモチベーションが上がった!
そんなタイプの子供もいます。
しかし、型に当てはめて書くのが苦痛で、その苦痛で書いたものを親や周りが評価して賞なんかをもらうことで、ホトホトイヤになるタイプだっているのです。
私なんかは、そのタイプですし、タイガー山中なんかは、すでに幼稚園児くらいから、
「大人が喜ぶならしておくか」
くらいの感覚はあったようなので、このあたり、作文を書いているときのお子さんの様子などは気にかけておく必要があるでしょう。
ホント、無邪気な子供ばっかりではないのです。
子供をたくさん見てきて、実際に私やタイガーみたいな子供も結構な割合でいることを知っておいてください。
さらに、家では作文がワクワクする時間であっても、学校での時間はどうなのか?
これも考える必要があるでしょう。
上手な文章を書くことは学校では、
「カッコイイ」ことになっているのか?
そういう風潮があるのか?
これは親の判断ではなく、あくまで子供自身がカッコイイことなんだと思ってるかの問題です。
そして、それは人から評価されているかどうか?
これは性格にもよりますが、人からの評価は子供の行動を制御します。
その中でも一番影響するのは親の評価です。
でも、内向的な子になれば「内」と「外」の区別がはっきり分かれますので、外での評価が気になったりする。
学校では、上手な作文を書くと、どんなに評価されるのでしょうか?
わかりやすい例で言うと、中学生の授業で英語の文章を読ませるとします。
すると、イイ発音ができる子供まで、わざと「たどたどしい発音」で読んだりするわけです。
???でしょ。
でも、実際にある。
それは流ちょうな発音で読むと、冷やかされるんですな。
「カッコつけんなよ!」とか。「外人みたいやなあ!」とか。
そういう雰囲気が授業やクラスにあると、もういけません。
誰も、できるだけ流ちょうに、キレイに発音しようという感じにならない。
わざと「ザット イズ ア ペン」とか区切って読む。
- 楽しくない
- かっこよくない
- 人から評価されない
この3点、ぜひチェックしてみてください。
たとえ、本人には明確な認識はなくても、お子さんの行動はいろいろな理由から今の行動に至ってると私は思います。
怒る必要はないのです。
知ろうとすること。そのための情報を集めること。
「なぜそうするのか?」をあらゆる手段で探る、その努力が今回の問題を解決する以外にもかなり役立つことは間違いありません。
子供の気持ちは親でも、なかなかわからない。
だからこそ、知ろうとする。コミュニケーションは努力の上に成り立つものですから。
最後に、相談者さん、親技を駆使するものとしては、やはり
学校での作文を変えていくために、家での作文時間を見直すことはないか?
そういう視点から取り組むことを私はオススメします!
その後、相談者さんからメールが届きました。
メールにはお子さんの気持ちがよく描かれていますので、少し長いですが紹介します。
先日 小2の娘の日記について相談させていただいたものです。
丁寧にお答えくださってありがとうございました。
アドバイスにあったように、娘にもう一度話しを聞いたところ、
「日記を書くことや文章を書くことは好きだけれど、ひとに読まれるのがいや。学校では、書いている途中で隣りの子がのぞくので隠しながら書いている。
できあがったミニ作文は、階段の踊り場に張り出されるので、みんなが見ていろんなことを言う。それがとてもいや。でも、わざとヘンに書いているわけではない。」
とのことでした。
また、担任の先生に国語の時間中の様子をたずねてもみました。
「たしかに隣りの子がのぞくのをいやがっている。隠しながら書くので、よけいに隣りの子や他の子供がおもしろがって覗き込んでいる。」
と、学校での様子もだいぶわかりました。
最近はミニ作文やミニ日記ではなく、日記帳に週2日分ほど日記を書くことになったので、張り出すことはなくなりました。
担任の先生には、日記をみんなの前で読んだりしないことをお願いし、娘にはそのことを伝えました。
授業中にノートを覗き込むのも注意してくださったそうです。
それからあっという間に娘の日記は変わりました。
娘も満足しているようで、「今日もいい日記がかけたよ!」などと報告するようになりました。
結局、ご指摘のとおり、こどもの世界では気持ちを書くことは
はずかしいこと(かっこわるいこと)
なのでしょうね。
どこから手をつければ、解決するのかまったくわからず、(というか最初から「もしかしてうちの子バカ?!」と思ってしまったので)娘が書いた日記を手に、「なんで、なんで?」だけがぐるぐるしていました。
解決したいなら、まず情報を集めるなんて基本ですよね。
でもどこからどうやって集めるか、目の前に問題があるとなかなか見えなくなるものです。
学校の先生に様子を尋ねるなど考えつきませんでした。
また子供の世界では、かっこわるいこともあるなど、そういえば、自分の子供の頃にもありました。
担任の先生には人間関係やクラスでのポジションなどもついでに聞いてみました。なかなか面白かったです。
そして家での日記について娘と話してみました。
もともときっちり毎日書いていたわけではないので、学校で日記を書いた日は、家では書かなくていいのではないか。
または家での日記はしばらくお休みしたらどうかと言うと、
「学校の日記は学校の授業の日記。家での日記は家での日記なので、書くことが違う。
旅行のことや友達のことは学校の日記には書けないので、家の日記も書く。」
というので、しばらく娘のペースに任せてみたいと思います。
『学校向けの日記』『自分の日記』と使い分けるとは思わなかったので親ばかながら感心しました。
娘も娘の社会で成長しているんだとあらためて思いました。
毎回メルマガでは 勉強させていただいておりますが、今回は本当に勉強になりました。
目からウロコが落ちるなんてものではなく、全身からウロコがぽろぽろ落ちた感じです。
問題が起きたときは、冷静に情報を集める。客観的な意見を探す。忘れないように、これからも頑張ります。
ありがとうございました。
まだまだ勉強したいと思います。よろしくお願いいたします。
さて、みなさん、いかがでしたでしょうか?
子供っていうのは、子供の世界の中で大人以上にいろいろと考えて生活していることの一端が見えたのではないでしょうか。
かつては皆さんも通ってきた道なのです。
お風呂上りに少しだけ自分の子供時代、両親、祖父母のことを思い出してみませんか?
40歳も過ぎれば、かつて封印していた忘れようとしていたイヤ な思い出も冷静に思い出せるかもしれませんよ。
子供は親と同じように精一杯生活しています!
そう思うと、少しだけ優しくなれるかもしれません。
子どもの頑張りはそのままで、親の工夫や頑張りで成績を上げるノウハウを「親技(おやわざ)」といいます。勉強に関する様々な悩みを子ども任せにせず、親子で取り組んでいきたい方にお勧めです。